正義感が強いと思わぬ災いを被ったりもするようです。気をつけましょう。

正義感はどこに向かうのか?

正義感とは何か?

正義感とは何なのでしょうか?親などの場合であれば自分の子供に対して、正義感の強い子になって欲しいと思ったりもするようです。

しかし、正義感と言うのは、中々漠然としていて理解しにくいところもあるかと思います。
あと、正義感と言うのは、自分の損得抜きにして相手を助ける行為を言うのではないかと私は思っています。例えば、いじめられっ子がいじめっ子にいじめられていて助けるのは正義感と言う奴でしょう。

しかし、それにより正義感を出して助けた方がいじめの対象になる事も多いようです。つまり、いじめっ子からすれば、正義感の強い奴はウザく感じるわけです。
それを考えれば正義感を出す場合は自分が圧倒的に強くなければいけません。それが出来ないのであれば、正義感は発揮しない方がよいのかも知れません。歴史上を見ても正義感を出して得をした例は余りにも少ないのではないでしょうか?

正義感を出すには圧倒的な精神力やタフさが必要なわけです。
連載は終了してしまいましたが、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の両津勘吉は、いじめなどは一切しませんよね。

しかし、正義感は強いと思いました。
しかし、圧倒的な腕力やタフさを兼ね備えていると思いました。

それが出来た上で正義感を出した方がいいなと思いました。実際に、人の上に立つ人物であれば邪悪な人物よりも正義感の強い人物が頂点にいた方が会社はよく回るのではないでしょうか?今までに正義感を出したために災いを被った人もいると言う事を忘れてはいけないでしょう。

司馬遷は正義感が強いと思う

史記を書いた司馬遷と言う人物は大変正義感が強い人物の思えます。
しかし、この正義感が原因で災いを被ってしまうわけです。

漢の武帝の時代は匈奴と呼ばれる北方の異民族と対立した時代でもありました。
そこで、李陵と言う武将がいました。李陵の祖父である李広は飛将軍などと呼ばれて匈奴から非常に恐れられたと言われています。

その孫の李陵も勇猛な武将でした。武帝が李陵に800騎を与えて匈奴を攻めさせたところ、2000千里も侵入して帰ってきました。それに感心した武帝は気をよくしたのか、次は5000騎を与えたのです。その5000騎を李陵は鍛え上げて精兵として武帝に出撃の許可を願いました。

そして、李陵は5000騎を率いて出撃しました。しかし、それに対して匈奴は8万の大軍を使って李陵を包囲したと言われています。
本来であれば李陵の役目は李広利(李陵の祖父李広とは別人)を助けるために出陣したわけです。

しかし、李広利の方は匈奴と戦闘にならずに行違ってしまい、本来は助けるために出陣した李陵の方が匈奴の主力とぶつかってしまったわけです。

しかし、李陵は祖父譲りの名将であったためか、匈奴軍1万を5000騎で打ち取ったとされています。しかし、8万と5000では兵力の差がありすぎて、矢尽き刀折れやむなく降伏しました。
これを聞いた武帝は激怒したわけです。そうなると、宮廷の家臣たちはこぞって李陵の事を悪く言ったとされています。

しかし、そこで司馬遷だけは、李陵を弁護しています。
正義感が強いのでただ一人李陵を弁護したわけです。李陵と言う人物は人格や人望もあり国士であると武帝に言い、さらに1万騎を打ち取るという実績をあげたわけです。
しかし、武帝としては自刃せずに降伏したのが気に入らなかったのか激怒は収まりませんでした。それにより司馬遷は宮刑を受ける事に鳴ってしまうわけです。これを見る限り司馬遷は非常に正義感が強い人物と言えます。ちなみに、李陵の妻子などは残念ながら武帝により処刑されたと言われています。

正義感の方向性が変わる

司馬遷はこれから先、正義感の方向性が変わったように思います。

外に対して正義感を出さないようにして自分が書いた史記などによって正義感を出したように思います、史記では列伝という人物をピックアップした部位があるのですが、その一番が伯夷・叔斉列伝なのです。列伝の中で伯夷・叔斉を一番に上げたのはやはり司馬遷の正義感からではないでしょうか?
伯夷・叔斉は殷末期であり、周の初めの頃の人物なのですが、周の武王が殷の紂王を征伐する時に、伯夷・叔斉は武王を止めたと言っています。いくら暴虐な君主であっても、臣下が征伐してしまうのは悪い事だと言ったとされています。
武王の周りの者は伯夷・叔斉を殺そうとしたのですが、武王の軍師である太公望呂尚は伯夷・叔斉を「これ義人なり」と言って止めたと言われています。

そして部下に命令して伯夷・叔斉を下がらせたと言うのです。
しかし、武王は殷を討伐して周王朝を開きました。

伯夷・叔斉の方は理想の君主を探し回ったのですが、見つからずついに餓死したと言うのです。
周から食料の援助があってもそれを受けなかったと言います。

実際に伯夷・叔斉は存在したのかもわかりませんし、これを列伝の最初におくのは意味が深いのではないでしょうか?
さらに、次は春秋戦国時代に活躍した管仲・晏嬰の列伝を次においています。

ちなみに、管仲と言うのは、斉の桓公に使えて管仲を覇者に押し上げた名宰相です。しかし、管仲は過去に別の君主の元にいて桓公の命を狙った事があるのです。

桓公はそれを許し管仲を宰相にしました。晏嬰は斉の荘公に仕えて憎まれて大夫の席をおわれています。
しかし、荘公が亡くなると敵陣を単身ですすみ荘公の亡骸をいたわったと言うのです。

第三の列伝に老子が来るわけですが、老子よりも管仲・晏嬰、伯夷・叔斉を前に持ってきたのは意味があるのではないでしょうか?自分と武帝の関係を投影している可能性も高いと言えるでしょう。あと、ここでは省略しますが、晏嬰の事を取り上げた記事というのも非常に意味深いな感じがします。司馬遷の時代の皇帝である武帝に関しては、寛容さとか残念なところがあるような気もしました。司馬遷と言うのは、自分の正義感などを史記に現したと言えるでしょう。

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